行動なくして
実現なし
001.想い

「想定」で思い出すこと

宮城県村田町に

「竹の内産廃処分場」という廃棄物処理場があった。

いや、今も多くの廃棄物が地中に埋まっているから

「ある」といったほうが実態にかなっている。

竹の内処分場は、宮城県にとって大変な重荷である。

宮城県はかつて、竹の内処分場に

不法投棄が繰り返されていたことを何年もの間見過ごしてきた。

住民の再三の訴えで動き出した時にはすでに遅く、

危険な廃棄物は撤去することもできない状態になっていた。

私が取材をしたのは、廃棄物をどうするかという議論に対し

廃棄物を残して安全性を監視していく方法を県が選択した時だった。

たしか2005年か06年ごろだったと思う。

廃棄物を県の責任で全て撤去するよう求めていた

地元住民の落胆は大きかった。

私は当時、宮城県知事に次の質問した。

「危険な廃棄物を残した場合

想定される宮城県沖地震がきても大丈夫か」

当時の宮城県知事が

「法律では、そこまで想定する必要はない」と

答えた記憶がはっきりある。

このため今回の大震災で

竹の内処分場が大丈夫だったかどうか気になっていた。

ニュースに出てこないことや、

宮城県のホームページも特に変化がないことから大丈夫だったのだろう。

しかし、当時の知事に感じた憤りを思い出した。

廃棄物を撤去しない方が現実的だと、当時私も理解はした。

しかし法律を守ることは最低ラインにすぎず

住民の生命と財産を守ることが政治ではないか。

「想定する必要はない」という言葉は聞きたくなかった。

今回の震災では「想定外」という言葉が飛び交っている。

使われる回数が多すぎて憤りも感じなくなってしまった。

しかし、今もなお予断を許さない原発や、

今後、被災者をはじめとする国民の生命と財産を守ることだけは

しっかりやってもらいたい。

国民の生命と財産を守るために

いろいろな想定をするのが政治の真骨頂だ。