行動なくして
実現なし
007.被災地をみて

避難所の生活~被災地をみて15~

岩手県大槌町でボランティアをしている間、「テント暮らしは大変だから」と地元の人が避難所に泊めてくれたことを以前書いた。私がお世話になった寺野弓道場の責任者だった藤原さんは、元々町役場の職員で定年後盛岡市にいたが、復旧のため駆けつけたという。

 

避難所の朝は早い。5時を過ぎるとみんな起き出して掃除や洗濯をする。7時過ぎに全体の掃除があるのだが、掃除は7時前に終わっていることが多い。毎朝7時からのラジオ体操はCDなどがないので、みんなで「1,2,3,4・・・」と声を出してやる。体操の前に年配の男性がハーモニカで、「ラジオ体操の歌」を演奏していた。

「素晴らしい朝が来た、希望の朝~♪」

とみんなで歌うと、1日の活力が湧きだしてくるようだった。

 

日中はみんな壊れた自宅の片付けなどに行くという。しかし自宅が遠くへ流されてしまい片付けさえできない人もいる。避難所は高齢者、女性、子どもが多かった。男性は仕事の都合などで家族と離れて生活しているのだろうか。

 

夜は9時半消灯。7時ごろ夕食があり、自衛隊が設置している風呂に入る。みんなでみることができるテレビは1台しかない。私はボランティア作業で帰りが遅かったが、150人の人たちは思い思いにおしゃべりをしたり、携帯をみたり。子どもたちもゲームをしたりと様々だ。私の隣にいた家族の女の子は進研ゼミの勉強をよくやっていた。電気が消えると寝るのだが、150人の寝息やいびきは初めて聞いたときは戸惑った。毎日へとへとだったのすぐに寝たが気になる人もいるだろう。隣の女の子が夜に泣きだし、母親が慰めているのを寝袋の中で聞いた時だけは辛かった。3日目になるとあちこちで咳が聞こえるようになった。風邪の流行は防ぎようがない。

 

150人もの共同生活なので大声を出す人もいない。酒を飲む人もいない。みんな気を遣って生活している。テレビでみたことのある仕切りはなかった。お互い自分たちの荷物でなんとなく場所を確保しているだけだった。実は一度、仕切りをつけたのだが、「近くの人との会話がなくなる」という声が多く撤去したという。盗難も聞いたことがなかった。節度の保たれた避難所だった。

 

弓道場は土の上にブルーシートとござが敷かれ、その上に厚い畳が各世帯ごとにしかれていた。厚い畳が敷かれたのは私たちが来る2,3日前だったという。ござの通路を掃除のときに雑巾がけしたが、ゴツゴツ固い。震災直後は雪もふったというからかなり寒かっただろう。生活状況はだんだん良くなっているというが、避難所生活の長期化は限界がある。私が日中、役場から被災者と電話をしていても、「どこでもいいから早く仮設住宅に入れてほしい」という声を何度も聞いた。

 

責任者の藤原さんは私が町を離れる前日、盛岡へ戻った。夕方、私がいる役場の部屋までわざわざ挨拶に来て、「避難所に泊ってボランティアをやるような人に必ず国会に行って欲しい。頑張れ」と励ましてくれた。

 

微力ながら町の手伝いをすることができたが、それ以上に大きな力を町の人からいただいた。