行動なくして
実現なし
004.政治

前原氏VS産経新聞から感じる懸念

前原氏と産経新聞の対立は産経に分があり、前原氏は産経の会見参加を早く認めた方がいいという話は前に書いた。きょうは、この問題で私が感じる2つの懸念について書きたい。

政治家や役所の記者会見は、これまで記者クラブに加盟するメディアしか定期的な取材ができなかったが、最近オープン化が進みつつある。このためネットメディアやフリージャーナリストが、活動の場を飛躍的に広げている。そして政治家や役所も、ホームページやブログなどを通じて自ら積極的に発信している。

さてそうなると、取材のオープン化とメディアの多様化を理由に、公の立場にある人や組織が、メディアを「堂々と選別」し始めるのではないかという1つ目の懸念を感じる。実は、小沢一郎氏が一時期、「ネットメディアの方が新聞やテレビよりも正確に報道してくれる」と言っていたのを何かで聞いたときに、ふとこの懸念が頭に浮かんだ。今回、前原氏が産経を排除したことも、政治家がメディアを「堂々と選別」する潮流にならないよう決着してほしいと願っている。前原氏は与党政調会長という職責の重さから、小沢氏は政界への影響力から、2人とも広く取材に応じるべき立場にいると私は思う。

さて、もう1つの懸念は、政治家や役所がメディアを選別したときに、今のメディアが一丸となって戦えるかどうかである。今回の問題では自民党の世耕氏が、産経抜きの会見を容認した他社を「メディアの自殺行為」と批判している。http://blogos.com/article/32679/?axis=t:6311

前原氏と産経の対立は、産経以外の新聞・通信社も報道したし、テレビも何社か報道したようだ。他社が会見の場で抗議したという報道もあった。メディア各社は、やるべきことを一定程度したと私は思う。

しかし、もし会見から退席させられたのが産経ではなくネットメディアやフリージャーナリストだったら、新聞やテレビは無視するのではないか。ひょっとしたら、その場で抗議すらしないのではないか。ネットメディアやフリーと大手新聞・テレビの冷えきった関係をみると、新聞やテレビが、ネットメディアやフリーを擁護する姿がどうしても想像できない。

メディアの多様化と取材現場のオープン化が進み、俗にいう「記者団」の質が変わりつつある今こそ、メディアは報道の目的を改めて考えるべきだ。一番大切な視聴者や読者、つまり国民のことを考えれば、新聞・テレビとネットメディア・フリーがいがみ合っていても、いいことは1つもない。

これからも、メディアと公人の対立はたびたび起こるが、メディアは取材先に萎縮したり、他人事だと思ってうやむやにすることなく、国民のためになる行動を見せて欲しい。

最後に、「堂々と選別」にわざわざカッコをつけたのは、政治家や役所が暗に特定のメディアを敬遠することは昔も今のあるからだ。また、いくら公人でも、アポも取らずに本人はおろか家族までに迷惑をかけるような、非常識な取材につき合う義務はないことも付言しておきたい。