行動なくして
実現なし
001.想い

終戦の日にあたって

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8月15日、日本武道館でひらかれた、戦没者追悼式典に参加してきた。国会議員になる前はこうした機会はなかったので、初めての参加となった。

 

 

安倍総理の式辞に、「アジア諸国への反省がなかった」とか、「不戦の誓い」がなかったとして、大きなニュースになったが、式典会場で安倍総理の式辞をきいているときは、そのことに気がつかなかった。

 

 

気になったことはといえば、安倍総理の慰霊が、戦地で戦って亡くなられた人たちに特化され、非戦闘員、または民間人への言及が薄かったように感じたことである。

 

 

当時の日本にとって、戦争は「総力戦」だった。その中で、沖縄での戦闘や、東京大空襲、広島、長崎の原爆があったわけだから、亡くなられた人を、もっと広範囲に言及していただきたかった。もちろん亡くなった全ての方への思いは、安倍総理もお持ちであることは言うまでもないし、強い思いをお持ちだと思っている。

 

 

アジアへの反省、不戦の誓い、また私が感じた、亡くなった全ての方への慰霊が薄いということも、安倍総理の式辞を見返せば、読み取れる部分はあったし、天皇陛下のお言葉や衆参両院議長、最高裁判所長官の追悼の言葉など、式典全体を通せば十分な内容だったと思う。

 

 

話が横にそれるが、総理をはじめ、各都道府県のご遺族代表が、参加者を代表して献花をしたが、経団連や連合、新聞協会など、いくつかの団体の代表も、献花をメンバーに入っていた。総理と三権の長と、ご遺族だけでもいいような気がしたが、そこは長い歴史があるのだろう。機会のある時に調べてみたい。

 

 

さて、飯田橋駅から歩いて日本武道館に向かう途中、靖国神社の前を通った。私は、将来的には、靖国神社を自由に参拝できるようなればいいと思っているし、自分も参拝したいと思う。しかしながら、外交上の摩擦や、靖国神社の歴史のはじめの方をみれば、国際的に理解が得られないこともわかる。

 

 

しかし、戦没者を慰霊することは当然だと思うし、他の国だって同じだ。また、国内の靖国神社の捉え方も変わってきているし、参拝したい人の思いも様々だ。時間はかかるかもしれないが、自由に、そして静かに靖国神社に参拝ができるようになるよう、考えていきたい。

 

 

最後に、8月15日は、県内では松本市の護国神社でも追悼式典があり、いずれも招待状をいただいたが、どちらも初めてのことなので、今年は武道館に行くことにした。来年以降も、どちらかに必ず参加していきたい。]]>