八ッ場ダム   2010 年 8 月 19 日

>

 

きょうは、もうきのうですが、群馬県の八ッ場ダムをみてきました。

佐久市臼田からは思ったより近いです。

軽井沢から群馬に入るルートで片道1時間ちょっとで着きました。

八ッ場ダムは、およそ半世紀の時間をかけて建設の方向へ進んでいましたが

去年、民主党が政権交代の「コンクリートから人へ」の象徴として建設にストップをかけたダムです。

ダムの必要性を説明するためにある広報センターの「やんば館」にあった完成予想図と現場を見くらべて、

ものすごい大きなダムを建設する計画であることに驚きました。

 

ダム自体の建設はストップしているようでしたが、

周辺道路や鉄道の新たな整備は工事がすすめられている様子が見えました。

既存の街並みや豊かな自然と、新しい道路や作りかけの線路などが並存する風景は

方向性が見えない現状をそのまま映し出しているように感じました。

建設の議論に時間がかかりすぎた。そしていま、大転換する実行力もままならない。

誰が責任をもって将来像を決めるのか。

これ以上放置したまま時間だけが過ぎていくことが許されるのでしょうか。

 

>

自由な報道 序   2010 年 8 月 19 日

「選挙を考える」連載で選挙報道について書いていたら、

報道についての持論を話したくなったので再びパソコンの前にいます。

日本には新聞とテレビ、そして通信社など、かなりの数の報道機関があります。

県庁所在地にある県庁記者クラブや、警察の記者クラブには必ず10社以上が加盟しています。

 私は記者をしていたときも今も、報道各社はもっと自由に論調するべきだと考えています。

10社の報道機関があったら10通りの論調があっていい。

あとは、報道を読む人、みる人が選択すればいい。

報道する側にとって、

日々起こっている無数の出来事から「何がニュースか」を取捨選択することは社の命運を握るセンスです。

そしてそのセンスは、最前線の現場にいる記者が担っている。

このセンスの大切さについて書こうと思うのですが、

ちょっと話が重くなりそうなのでしばらく時間をいただき、構成を練ったうえで書かせていただきます。

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて