文章も個性だ   2011 年 2 月 19 日

先日書いた投稿、「いつか本に??」について、「最近のブログ、人間らしくなってきましたね(笑)」というコメントをいただいた。おそらく褒めていただいたと思うのでとても嬉しい。“とくめい子”さんありがとうございます。

ブログを始めた時から、考えたこと・調べたこと・体験したことなどを書いてきた。選挙が終わってからは考える時間が増えたので選挙前とは多少変わったが、スタンスは変わっていない。考えが深まらなければ納得のいくものは書けない。また、たまにはソフトで、読んだ人が笑ってくれるようなことも書きたいと思う。大きく変わったのは文体だ。日記は高校時代に真剣に書いただけだが当時の文体に似てきた。

きのう(18日)、田中秀征さんの民権塾に出席して話をきいてきた。秀征さんは私と同じ年のころから何冊も本を書いている。今も雑誌で連載をしたり文章で発信することが非常に多い。秀征さんに文章へのこだわりを聞きたいと思い、質疑の時間に聞いてみた。秀征さんは、「そんな質問は初めてされた」と言っていたが丁寧に答えてくれた。

秀征さんは、「最初は文章や本を書くとは思ってもみなかった」という。それが、選挙で主張をチラシに書くなど、「必要性に迫られて書くようになった」という。今も「積極的に書きたいと思ってるわけではない」と言っていた。ただ、「次に何を書くかは、移動中など時間のある時いつも考えている」とそこは真剣な顔で話していた。文体は、「美しくとかカッコいいものを書く気はなく、年々散文を意識するようになっている」とのことだった。昔の文章は恥ずかしくて見たくないと言っていた。

秀征さんの話をきいていて、文章に対する考えが1つはっきりした。文章は、話し言葉と一緒で10人10色、個性だ。無理に飾ることはない。無理にカッコをつければいつか疲れ果ててしまう。私のブログも始めたことに比べると自然体になったと思っているが、これからは堂々と自然体でいたい。これまで文体は悩みの種だった。勉強を積み重ねていけばまた変わるだろうが、常に自然体でいたい。秀征さんに政治家のブログについても感想を聞きたかったが、残念ながら一切みていないとのことだった(苦笑)

秀征さんは話もとても面白い。話の筋道や言葉の選び方に唸らされることが多い。秀征さんは別の場所で、「自然と言葉が出てくる」と言っていた。秀征さんは政治の動きに常にコメントを求められるので、反射神経というか瞬発力が問われる。コメンテーターや政治家の中にも、テレビを見ていて、「なかなかうまいことをいうな」と思う人はいる。でも、毎回一生懸命コメントを考えているなという、悪く言えば「作り物」を聞かされているような感じを受けることもある。聞く人をうならせる言葉が自然に出るというのは、秀征さんの体験、教養、そして文章を書き続けてきた人生のなせる技だろう。

私も政治活動を始める上で自己発信の必要性を感じてブログを始めた。まだ赤子のようなブログだが、「次に何を書こうか」いつも考えている。皆さんのご意見、感想が栄養源なので気軽にコメントをいただければありがたい。

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて