「小海町にしかできないことで町おこしを!」 

存続が決まってから最初の大会となった「第22回氷上トライアスロン小海大会」が先月30日無事終わった。

「観光協会や商工会が中心になったことで、町をあげて大会をやろうという雰囲気があった。これからも、1人でも多くの町民に関わってもらい、みんなで町おこしができる大会になればいい」

小海町観光課の井出直人係長はそう話した。

 

日本で唯一、スキーとスケートと2大ウィンタースポーツを取り入れた「氷上トライアスロン小海大会」。

  

大会は、去年の21回大会が最終回になるはずだった。 氷上トライアスロン小海大会が始まったのは、平成のはじめに遡る。町にスキー場ができたこともあって、小海町にしかできないことで町おこしをしようと有志が企画した。人口5338人、町の中央を南北に流れる千曲川に沿って帯状の平坦地が形成され、国道141号、JR小海線が走る。冬の小海町といえば、凍結した松原湖で行われるワカザギ釣りが有名で、愛好家は県内にとどまらない。地元の人にとって松原湖は、釣りスポットとは別のもう1つの顔がある。スケートだ。長野県はかつて、学校教育にスキーやスケートを積極的に取り入れていた。小海町を含めた南佐久、東信地方はスキーよりもスケートだった。暖冬と言われる前は、冬になれば田んぼが凍り、いつでもスケートができた。松原湖も格好の天然リンクだった。標高1000メートルを超える厳しい寒さで、40センチを越える厚い氷がはる。こうした小海町独自の環境をいかして始まった大会が「氷上トライアスロン小海大会」だった。大会は珍しさが注目され、毎年地元民放で放送された。平成7年には地元にスケートセンターもオープンした。挑戦者が増えてキャンセル待ちが出るようになった。

 しかし、大会の中身は極めて過酷である。最初にスキーが3キロ。上位入賞者は10分程度でスキー板を投げ捨ててマラソンに移るが、のぼり坂もあり決して楽ではない。そして16キロのマラソンは、高低差560メートル。コース序盤、急な登り坂が続き、記録よりも気力との戦いだ。そして最後に10キロのスケート。最後の種目にふさわしい過酷なもので、体力も限界に達する。内容の濃すぎる大会だからこそ、出場者にしかわからない達成感がある。そして、美しいスキー場や、雪道を登っていっきに駆け下りるマラソンの爽快感など、この大会にとりつかれる人は多い。挑戦を尻込みする人も多いだろうが、参加してしまうと虜になる。それを証明するかのように大会は回数を重ねるごとにリピーターが増え、参加者の交流が深まっていった。「毎年同窓会のような雰囲気がある」と井出係長は言う。

 ファンが増える一方で、町では、徐々に大会を続けることが難しく感じていた。大会のスタッフは当日だけで200人が必要だ。競技のフィナーレである10キロのスケートは400メートルリンクを25周。およそ200人の選手が滑っている横で、ボランティアが1周1周カウントしながら声援を送る。大会のクライマックスだ。

   

200人の確保は年々容易でなくなっていた。それとは別に、大会の前年の秋頃から実行委員会の活動が本格化する。有志で始まった実行委員会だったが、世代交代が進まない。大会に関わる人が減り、町職員が動員されるようになった。大会回数を重ねるごとに、主催者側には、新鮮さよりも義務感が重くのしかかるようになった。

人の問題と並んで持ち上がったのがお金の問題だ。当初は日本を代表する企業もスポンサーについていた。地元のテレビが放送することでスポンサーも増え、テレビ放映を続けることができた。しかし景気の後退でスポンサーが減る。テレビ放映がなくなる。町民の寄付も少なくなっていった。

19回大会が終った3年前、実行委員会の反省会で「20回を節目にしないか」という声が上がった。存続すべきという声もあったが20年間を区切りにというムードが高まっていった。結局、20回大会を終えたあと、「21回で最後にしよう」と決まった。「キングオブウィンタースポーツ」とも言われる大会が終わることは、地元の新聞などで話題になったが大きな騒ぎにはならなかった。大会を惜しむ人が多いことを関係者が気づいたのは最終回の大会が迫ってからだった。

最終回となるはずだった21回大会から、事務局として大会に関わった井出係長は、大会参加者に前日配られる大会プログラムが忘れられないと振り返る。

大会プログラムには全ての参加者の名前と抱負が載る。21回大会のプログラム、最終回を惜しむ声がほとんどだった。

  

「今年が最後ですか?…残念です」

「素晴らしい大会をもう一度!」

「長くて短い8年間でした。最終決戦頑張ります!!」

パンフレットをみて井出係長は複雑な思いになったという。

そして21回大会の閉会式。涙を流して大会を惜しむ人がたくさんいた。

中止の声が出始めてから2年間踏ん張ってようやく区切りをつけた大会は、このあと予想外の展開をみせる。大会に何度も参加するファンが存続を訴え、彼らは自主開催も考えるようになった。みんなこの大会にとりつかれ、大会が大好きだった。町外から参加し続けてきたおよそ40人が町にお願いにきた。その声に押される形で町は存続をきめようとする。とは言えスタッフがいない。公募をしても実行委員会になろうという人は集まらない。声をあげたのは観光協会と商工会だった。「観光の目玉になるような大会をやろう」。町外の人の熱い気持ちにふれて、小海町の人たちは、大会が町の財産であることを改めて実感した。

大会を続けることが決まり、これまで通りの大会をまずはしっかりやろうと準備が進められた。変わったのは前日に開かれるレセプション。四季折々の小海がPRされた。町の人たちのおもてなしの気持ちが全面に出たレセプションだった。

 

 また、今年のレセプションは感謝の気持ちが溢れていた。

  

選手宣誓は感謝から始まった。参加者全員が小海町に感謝していた。そして、主催者の観光協会、町長、町の関係者は挨拶に立つたびに参加者に感謝を表した。大会の存続をみんなが喜んでいた。

 

今年の大会には184 人が参加した。初参加の人が約半数にのぼり、今後の大会にむけて新たな力が加わった。

  

 大会が終わり、今月18日には実行委員会の反省会が行われた。今後の大会開催にむけて、参加者を増やしたり、テレビ放送の復活を考えようという意見がでたという。

下の写真は今大会の参加者のメッセージだ。
 
「もうやめるなんて言わないで下さい。死ぬまで出場します」

「ありがとう」、「開催の通知が来て主人と大喜びしました」

「復活ありがとう!がんばります!!」

 

開催する町と参加者の想いが1つになって復活した氷上トライアスロン小海大会。

すでに次の大会に向けてみんなが気持ちを新たにしている。

 

 

(あとがき)

氷上トライアスロン小海大会に私が参加したのは、町の人に誘われたからだった。スケートとスキーが初心者に近い私からすると無謀な挑戦だったが、一度閉じた大会が復活したことに興味があった。

大会は想像以上にハードだった。しかし、町の人たちが滑り止めを施してくれた雪道を駆け降りるマラソンは、野生の動物になった気分だったし、スケートリンクを、歩くような遅さで滑る自分に多くの人が声援を送ってくれて、ゴールするのがさびしく感じた。私も大会に取りつかれた1人だ。それは競技の充実感だけではなく、町の人たちの温かい気持ち、おもてなし、そして町おこしの熱い思いを感じたからだ。

大会は当面続くことになった。しかし、スケートリンクの広さや、マラソンコースの難所などをみると、参加者を大幅に増やすことは安全面から難しいと思う。前日から町の民宿に泊まる人も多いが、ワカサギ釣りのシーズンと重なるので、宿泊施設も限りがある。それでも、参加者の応援者を増やせばさらに賑わいが見込めるだろうし、きっと新しい工夫も出てくるだろう。

小海町にしかできないこの大会がもっともっと評価されて、町の名物、信州の名物、そして全国の名物大会として続くことを願ってやまない。

最後に、大会のことを話してくれた、町役場の井出係長に感謝申し上げたい。また、ボランティアが撮影し、町のホームページにアップされている写真を町の了解を得て紹介させていただいた。

https://picasaweb.google.com/koumimachi/22#  

(たくさんの写真はこちらから↑)

都市と地方   2011 年 2 月 23 日

昨日の産経新聞に「あっ!」と思う記事をみつけたので紹介したい。

「2050年展望 居住地域、2割無人化 総人口25%減 過疎化進む

 国土交通省は21日、過疎化や人口減少がこのまま続いた場合、2050(平成62)年には、日本の総人口が05年に比べて25%超減り、人が住んでいた国土の約20%で、住民がいなくなるとの推計を公表した。過疎化が進む地域では人口減少率が平均で61%と、全国平均(26%)を大幅に上回っており、都市部だけに人口が集中し、それ以外では減るという現象が極端に進むことになる。(以下略)」(産経新聞インターネットより)

2050年といえば私は72歳だ。国土の20%で住民がいなくなった日本がどうなっているか不安で仕方がない。実は1月にも同じようなショックを受けた記事があった。TPP(環太平洋連携協定)推進派の竹中平蔵慶大教授が次のように語っているの。記事の前半は割愛するから要旨を紹介するが、前半は、自由貿易の推進とともに国内農業の強化をどう図るかという問題で、竹中氏は農業の集約化、大規模化を進めるべきだと主張している。そして、そうした競争に不利な山間地の集落について問われた竹中氏は以下のような発言をした。

『―山間地など、競争に不利な集落の農業はどうなるか。
 「日本の人口はこれからどんどん減る。私の出身地の和歌山県でも人口は今後20年間で20%減り、長野県も同様だろう。そのとき、今の集落をそのまま維持することはできない。申し訳ないが補助金を出すので山間地の人は都市に移ってください、という国土政策に転換するだろう」
 ―住む人には割り切れない思いもあると思うが。
 「誰しも心和む、のどかな集落は消したくない。だが、そこを維持するために日本経済全体が沈もうとしているならどうするのか。最低限の文化的、健康的な国民生活を守るには、住まいを移転したり、農業を続けられない地域が別のことに取り組んだりすることも必要だ」(以下略)』(1月13日信濃毎日新聞朝刊より)

産経新聞の記事は、2050年には極端な都市化と過疎地の人口が0人になるところが多くなるという結果の予想を示している。一方竹中氏は、そうした予想を踏まえて都市化が国土政策になると言っている。私は、2つの記事が示すような日本の将来像を受け入れたくない。国土の狭い日本がさらに自ら国土を狭めるようなことをしていたら、100年200年先をみた時に、国力を著しく落とすのではないかと思う。狭い国土だからこそ、すべてを有効に使うべきだと思っている。大都市集中化は数十年先の国力は守るかもしれないが、その先が見えないと思う。

悲観的な予想に対しては今から危機感をもって望むしかない。農業ならどうするか。自然豊かな田園風景を守りたい。それには農業の参入者をふやすことが大切だ。農地法の改正をはじめとする規制緩和が必要だ。民主党が減反とセットでやっている戸別補償制度には反対。減反は廃止する。減反をやめて生産量を増やす。品質の高さを売りに海外への輸出を行う。生産規模の拡大とともに高品質が農業のカギだと思っている。規模拡大が難しい山間地も品質、つまりブランド化に活路が見出せると思う。就農者が夢を持てる農政をしなければならない。荒廃した農地が減って豊かな田園風景が広がれば、都会にはない田舎の魅力に惹かれる人も多いと思う。

もう1つ、地方に人を呼ぶ方法は、前にも言ったかもしれないが教育だと思っている。首都圏への人口集中は雇用の問題もあるが、私は学校の問題が大きいと思っている。魅力ある公立校を増やす。まずは信州が最先端教育地域になる。なぜ公立校なのか。それは授業料が安いからである。「長野の公立校は他とは違うぞ」と話題になれば、「子育ては信州で!」という合言葉がうまれる。市町村や都道府県が自由な教育施策をできるよう、権限と財源を国から移さないといけない。そして、教育委員会と学校と親が一体となって公立校の再生に取り組める環境づくりを政治が考えないといけない。

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて