長期的な支援が必要だ   2011 年 4 月 28 日

4月23日読売新聞朝刊によると、東日本大震災で日赤と中央共同募金会によせられた義援金は1700億円で、他にも200億円が直接自治体に集った。地震の発生から40日余りで、阪神大震災で寄せられた義援金とほぼ同じ金額に達したという。

「義援金」は、被災者の生活支援にあてられるもので、市町村の予算に組み込まれて復旧対策や復興事業に使われる「寄付金」とは使い道が違う。義援金は例えば、一時金として被災者に支払われる。栄村では4月13日に日赤などから配分を受けて、全壊の30戸に一律35万円、半壊50戸に一律18万円を送金したという。また、その後新たに判明した70戸の半壊世帯にも後日18万円が配られたという(毎日新聞23日朝刊)。栄村のほかにも、東北や茨城の自治体で、義援金の受給申請が始まったというニュースを新聞などで目にするようになった。

津波の被害が大きかった岩手・宮城・福島・茨城の4県では、インフラや住宅などの被害が16兆3730億円にのぼると日本政策投資銀行東北支店が試算した。中でも岩手県沿岸部は資産の47パーセントが喪失したという(28日産経新聞)。街の半分がなくなるということを自分の地元に置き換えて想像すると言葉が出ない。今回の震災復興で必要なお金は20兆円とも言われている。こちらは国会で補正予算がまず4兆円規模で議論されているが、特に財源の確保など、国民の理解が得られる内容となるか、政治の正念場だ。

義援金は、こうした総被害額と比較するとわずかな金額だが、民間有志の支援として長期間続けてほしいと思う。私は地震発生直後1週間、街頭で義援金を集めた。多くの人の「なんとかしなきゃ」、「自分にできることをしよう」という気持ちを肌で感じた。ただ、募金したお金がその後どうなったかが分からなかったり、地震関連の報道が減るとどうしても関心が低下することは避けられない。今後の義援金活動を国民的に継続するにはどうしたらよいのだろうか。

まず、集まった金額と使い道をどんどん公表する。毎月でも毎週でもニュースにしてほしい。まだ足りないなら、「あといくら必要だ」と言ってもらってもいい。冒頭に紹介した読売新聞も、23日に掲載された記事なのに金額は古いデータをつかっている。新しい情報が出ていないということだろう。とにかく情報を徹底的に出し続けて、国民の理解を得ることが必要だ。詐欺事件や募金箱の窃盗事件など、支援に水を差すような事件も多いが、信用が第一だと思う。そういう意味では私の友人が、信用ある募金団体をまとめたサイトは多くの人にとって有効なツールだと思う。先日紹介したサイトを改めて紹介したい。

http://kifusuru.com/  (日本語版)   http://donate-japan.com/  (英語版)

 次に、募金方法の簡略化も大切だと思う。最近は店舗のレジなどで募金箱を見るが街頭募金はさすがに少なくなった。多くの団体がホームページなどで募金をしている。しかし、募金の方法が、金融機関を使った振り込みや書留などが多い。インターネット上で最もお金のやりとりが簡単なのはクレジットカード決済だ。募金の方法としてクレジットカード決済が広まってほしい。特に海外からの送金でクレジットカードは大きな効果があると思う。

そして日常の暮らし、経済活動の中での長期的な支援が欠かせない。経済活動の行き過ぎた自粛は良くないという考えは国民全体に広まっていると思う。仙台七夕まつりも8月に例年通り開催されるという。地元の佐久バルーンフェスティバルも5月3日から5日までの間、復興支援イベントとして行われる。収入や競技賞金の一部を義援金にするほか、チャリティライブもあるらしい。こうしたイベントのほか、日常の暮らしの中でも、多くの店が「買い物をしたらこのうちいくらが義援金になります」という取り組みをしている。こうしたチャリティの精神で長期的な支援を続け、さらに景気の回復につながればいいと思う。

経済活動だけではない。兵庫県たつの市の中学校では段ボールや古紙の回収を生徒会が行い、換金して義援金にあてている。長期間にわたって義援金を送れる取り組みにしたいという(27日朝日朝刊)。私が参加している1キロ走るごとにいくら寄付するという「チャリティラン」も、マラソンという共通の趣味から多くの人が参加している。

被災地以外は普通の生活に戻りつつある。報道も震災関連が少なくなっている。しかし、被災地の状況は変わっていないという声は多い。警察庁のまとめによると4月27日夕方の段階で、死者14517人、行方不明者11432人、負傷者5314人。そして避難生活をしている人が13万人以上いる。避難所以外で不便な生活を余儀なくされている人も相当いるはずだ。まだまだ震災被害に正面から向き合っていかないといけない。

震災報道に思うこと   2011 年 4 月 26 日

震災報道をみていると、報道の難しさを改めて感じる。

3月11日の地震発生からしばらくは、「どこでどれだけの被害が出ている」、「被災者はこんなに苦しんでいる」という報道一色だった。被災者にマイクを突き付けることが無神経だと批判された。また、「悲惨さを伝える報道ばかりだと精神的にダメージをうける人が出る」という声もあった。

そして、復興へむけた明るい話題が増えれば、今なお大変な避難生活を続けている人、壊れた自宅の片付けに途方に暮れている人はどう感じるのか。

被災地報道が偏っているという批判もある。報道されない被災地が多いという声も多い。きょう、宮城県の消防課の人と電話で話す機会があったが、「仕方がないのかもしれないが今の報道は原発事故が中心だ」と話していた。 

このブログでも再三書いてきたが、メディアの横並び的な体質が今回の震災報道にも大きな影響を及ぼしていると思う。まず、震災報道の割合である。災害報道を公共放送の使命と位置付けるNHKはかなりの間、特別編成で震災報道を続けてきた。しかし、視聴率の高い時間帯は通常体制に戻りつつある。震災報道なら各社それぞれ、「うちは復興の動きを徹底的に伝える」とか、逆に、「被災地の悲惨さを徹底的に伝える」というスタンスがあるべきだ。「他社が通常の放送体制に戻っても、うちだけは半年間は震災特別態勢でいく」という方針の社もああるべきだ。視聴者や読者の声に敏感であることは必要だ。しかし安易な横並び報道に走ったり、批判の出にくい「無難」な放送にとどまったら、視聴者や読者の気持ちは離れていく。普段から他社の様子をうかがい横並びの報道に終始しているから、どこの放送局、新聞社も金太郎飴のような報道になっているのではないか。視聴者や読者に、「どこも同じニュースばかりだ」と失望されているのではないか。大手メディアは何社もあるが、今一度、自社の存在意義を見つめ直し、独自の視点で震災報道を展開してほしい。今回の震災はそれだけ大きな出来事だと思う。個人的には、まだまだ被災地に目をむけて欲しい。困っている人たちにカメラを向けてほしい。政治の世界は、本格復興だとか政局的な話が増えつつあるが、まだ目の前の生活に困っている人がたくさんいる。私はインターネットの一部に氾濫しているような、大手メディアの存在価値すら認めないような批判をする気は全くない。メディアを信じている。

仙台ナンバー   2011 年 4 月 25 日

私のバイクは仙台ナンバーだ。4年前、バイクが好きだった取材先を驚かせてやろうと思い、早朝密かに教習所に通って免許をとった。

1週間前に松本市でバイクに乗る機会があった。バイクを止めていると多くの人がバイクと私をみてくる。不思議に思っていたらある人が、「避難しているの?」と聞いてきた。なるほど、多くの人が被災地のことを心配していることに意外な形で気づかされた。

仙台にはお世話になった想いがあり、仙台を離れてからもナンバーを変えないできた。長野県に住むようになってからは、さすがに変えた方がいいかと思うこともあった。しかしもうしばらく、多くの人に仙台のことを気にしてもらえるようにナンバーを変えないことにした。被災地の一日も早い復興を願って。

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追伸 24日のチャリティラン、11キロ。

選挙の手伝いを終えて   2011 年 4 月 25 日

4月17日から24日まで、松本市議選に立候補した小林あやさんの手伝いをしてきた。

公選法の関係で詳報を控えてきたが、昨夜3610票を獲得して31人中3位という素晴らしい結果をおさめたので晴れてご紹介したい。

私と同世代の34歳。旧波田町が松本市と合併する前に最後の町長選に挑戦し、その後松本市議選に当選して今回再選された。

 

 

 

 

 

 

面識がなかったにも関わらず私の参院選をつきっきりで手伝ってくれたことは以前書いた通りである。松本市の遊説ルートを丹念に調べて作ってくれたのは本当に助かった。今回は恩返しのつもりで手伝った。

今回の松本市議選は定数が10以上少ない31になり、39人が立候補する激戦だった。さらに「旧波田町からは4人が立候補して大激戦」と新聞は指摘していた。小林あやさんの選挙は地元を大切にする選挙だった。遊説のかなりの時間を波田に使ったと思う。さらに選挙前は、波田も含めた市内各地で、自ら一軒一軒チラシを配って回ったという。選挙カーに一緒にのって遊説をしていると、「チラシを読んだよ」という農家の人がたくさんいた。チラシを大切にしてくれている人が多かった。また、最終日の遊説は雨で、波田の街は静かだった。最初は雨のせいだと思っていたが遊説をしているうちに、静かなのは雨のせいではなく、みんなが選挙カーの訴えに耳をすましているのではないかと思うようになった。選挙カーに応えてくれる波田の人たちはそれほど温かかった。小林あやさんも、選挙カーのスピードを落としたり、こまめに立ち止まって演説をしたり、スピーカーの音量に気を遣ったり、本当に細やかな配慮をしていた。同じ道を往復する時は、帰りはスピーカーを切ることも何度もあった。選挙カーは騒がしいとか名前の連呼だけだと批判される。それはそれで正論だが、細心の注意をはらって選挙カーを動かしている候補者がいる。そして、選挙カーを待っている有権者もいる。

3610票という得票のうち、波田の人がどのぐらいいたのかは確かめようがないが、恐らく波田の人たちは今回、小林あやさんを地域の代表として選び、地域の未来を託したのではないかと思う。同世代、同じ信州で政治から社会を良くしたいと願う者同士。私はまだ政治家ではないが、小林あやさんから色々学ばせていただきたい。

小林あやブログ http://ayahata.sblo.jp/

 

さて、4月だけで小林あやさんを含め、3人の選挙を手伝ってきた。同じ人の選挙を何度も手伝う人は多いだろう。また、現職や各政党支部長の中には、いろんな人の応援をする人も多いだろう。しかし、いろんな人の選挙に深く関わる人は少ないのではないか。チラシ配り、チラシの折り込み、のぼり旗持ち、運転手、電話かけ、講演会の司会、男が選挙カーから訴えるウグイスならぬ「カラス」、応援演説。助っ人ではなく、それぞれの陣営の1メンバーとして手伝った。

 みんなの党から県議に立候補した2人はともに長野市の選挙区で挑戦し、小林あやさんは県内第2の都市である松本市が舞台だった。3人ともそれぞれの戦い方を貫いた。3人を近くで見ていて、3人の選挙を報道で指摘されるような「都市型選挙」というくくりでまとめることは間違いだと思った。それぞれ個性ある運動が現場にあった。

選挙は、公約も含めて候補者の全てを有権者に訴えるもので、その活動は選挙期間だけにとどまらない。現職はもとより新人も選挙前の地道な活動が大事だと思う。同じ選挙区の中でも、その中には様々な地域性がある。できるだけ多くの有権者に訴えが届くよう、丁寧で細やかな活動をしなければいけないなと、多くのことを学んだ1か月だった。3人に改めて感謝したい。ありがとうございました。

お世話になった特刑部長へ   2011 年 4 月 23 日

1年前の4月21日、お世話になった人が突然亡くなった。

記者と取材先という関係だったのでこれまで公にすることをためらっていたが

その人は、私がNHK横浜局に転勤後、2009年から1年と少しの間

横浜地検の特別刑事部長だった。以下、特刑部長と書かせていただく。

 

地検という組織は情報のガードが固く取材が難しい。

東京や大阪の地検は大きな事件を手がけるので取材合戦も激しいが

地方の地検を取材する記者は適当に地検とお付き合いして

異動や転勤でさよならとなるケースが多い。 

仙台で警察取材を3年間、たいていのことをやった私は

事件報道に携わる者としてどうしても検察取材をしてみたかった。

私の同期が仙台地検の取材で相当苦労しながら成果を出していたことも

刺激になり、挑戦してみたい気持ちもあった。

 

横浜に赴任して案の定、

地検取材がまるでうまくいなかったときに特刑部長と出会った。

特刑部長は検察庁の組織についていろいろ教えてくれた。

若い時に留学する検事がいるが、出世の見込みによって

半年から2年コースに分かれていることなど、

豆知識をたくさん教えてくれた。

私がたくさんの検事と臆せず話ができるようになったのも

特刑部長のおかげである。

 

特別刑事部は、殺人事件などの凶行犯罪を扱う刑事部と異なり、

脱税事件や巨額の詐欺事件、公安事件など、数は少ないが特殊な事件を扱う。

特刑部長は若手検事から絶大な信頼を得ていた。

若手を信用し、仕事を任せることができる腹のすわった人だった。

特刑部長がいた間、横浜地検特別刑事部は多くの事件を立件した。

 

私がNHKを退職して、冤罪事件、証拠改ざん事件など

検察の問題が噴出したときに私が

私なりの意見を述べることができたのも特刑部長のおかげである。

特刑部長は私とつきあっていたときから

村木厚子さんの裁判や栃木の菅谷さんの再審を気にして

検察の将来を憂いていた。

 

警察からの信頼も厚かった。

警察と検察は一般論でいうとあまり仲が良くない。

警察が逮捕して取り調べた容疑者を起訴するのが検察なので、

検察は、捜査過程で警察の上部組織にあたる。

このため警察への注文が多い。

警察が苦労して立件した容疑者を起訴しないことも多い。

特刑部長は剣道が好きだった。5段の剣士だった。

検事も全国転勤である。特刑部長は勤務先の県警で、

警察官と剣道で汗を流していた。

私も1か月半ほど剣道を習った。

いただいた木刀と竹刀が私の部屋に大切にしまってある。

 

立ち飲みの居酒屋などで手軽な焼酎やハイボールを楽しみながら

葉巻を吸うのが好きな人だった。カラオケが上手な人だった。

通勤電車内では「鬼平犯科帳」の文庫漫画を愛読していた。

 

私はNHKを辞める時、家族と社内の人に話した後、

取材先で最初に特刑部長に意思を伝えた。

私がNHKを辞めてからも、私を気にかけて飲みに誘ってくれた。

具体的な選挙を決めないまま退職した私を

「必ずできる」と励ましてくれた。

先行きの見えない私を信じてくれる数少ない人だった。

 

特刑部長は去年4月、広島へ転勤した。

3月に

「次回は、広島で」と

広島で飲む約束をした後、突然の訃報だった。

 

1年の命日にお墓に行くことができず大変申し訳なく思う。

特刑部長の優しい笑顔を思い出しながら

改めてご冥福をお祈りしたい。

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて