仙台ナンバー   2011 年 4 月 25 日

私のバイクは仙台ナンバーだ。4年前、バイクが好きだった取材先を驚かせてやろうと思い、早朝密かに教習所に通って免許をとった。

1週間前に松本市でバイクに乗る機会があった。バイクを止めていると多くの人がバイクと私をみてくる。不思議に思っていたらある人が、「避難しているの?」と聞いてきた。なるほど、多くの人が被災地のことを心配していることに意外な形で気づかされた。

仙台にはお世話になった想いがあり、仙台を離れてからもナンバーを変えないできた。長野県に住むようになってからは、さすがに変えた方がいいかと思うこともあった。しかしもうしばらく、多くの人に仙台のことを気にしてもらえるようにナンバーを変えないことにした。被災地の一日も早い復興を願って。

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追伸 24日のチャリティラン、11キロ。

選挙の手伝いを終えて   2011 年 4 月 25 日

4月17日から24日まで、松本市議選に立候補した小林あやさんの手伝いをしてきた。

公選法の関係で詳報を控えてきたが、昨夜3610票を獲得して31人中3位という素晴らしい結果をおさめたので晴れてご紹介したい。

私と同世代の34歳。旧波田町が松本市と合併する前に最後の町長選に挑戦し、その後松本市議選に当選して今回再選された。

 

 

 

 

 

 

面識がなかったにも関わらず私の参院選をつきっきりで手伝ってくれたことは以前書いた通りである。松本市の遊説ルートを丹念に調べて作ってくれたのは本当に助かった。今回は恩返しのつもりで手伝った。

今回の松本市議選は定数が10以上少ない31になり、39人が立候補する激戦だった。さらに「旧波田町からは4人が立候補して大激戦」と新聞は指摘していた。小林あやさんの選挙は地元を大切にする選挙だった。遊説のかなりの時間を波田に使ったと思う。さらに選挙前は、波田も含めた市内各地で、自ら一軒一軒チラシを配って回ったという。選挙カーに一緒にのって遊説をしていると、「チラシを読んだよ」という農家の人がたくさんいた。チラシを大切にしてくれている人が多かった。また、最終日の遊説は雨で、波田の街は静かだった。最初は雨のせいだと思っていたが遊説をしているうちに、静かなのは雨のせいではなく、みんなが選挙カーの訴えに耳をすましているのではないかと思うようになった。選挙カーに応えてくれる波田の人たちはそれほど温かかった。小林あやさんも、選挙カーのスピードを落としたり、こまめに立ち止まって演説をしたり、スピーカーの音量に気を遣ったり、本当に細やかな配慮をしていた。同じ道を往復する時は、帰りはスピーカーを切ることも何度もあった。選挙カーは騒がしいとか名前の連呼だけだと批判される。それはそれで正論だが、細心の注意をはらって選挙カーを動かしている候補者がいる。そして、選挙カーを待っている有権者もいる。

3610票という得票のうち、波田の人がどのぐらいいたのかは確かめようがないが、恐らく波田の人たちは今回、小林あやさんを地域の代表として選び、地域の未来を託したのではないかと思う。同世代、同じ信州で政治から社会を良くしたいと願う者同士。私はまだ政治家ではないが、小林あやさんから色々学ばせていただきたい。

小林あやブログ http://ayahata.sblo.jp/

 

さて、4月だけで小林あやさんを含め、3人の選挙を手伝ってきた。同じ人の選挙を何度も手伝う人は多いだろう。また、現職や各政党支部長の中には、いろんな人の応援をする人も多いだろう。しかし、いろんな人の選挙に深く関わる人は少ないのではないか。チラシ配り、チラシの折り込み、のぼり旗持ち、運転手、電話かけ、講演会の司会、男が選挙カーから訴えるウグイスならぬ「カラス」、応援演説。助っ人ではなく、それぞれの陣営の1メンバーとして手伝った。

 みんなの党から県議に立候補した2人はともに長野市の選挙区で挑戦し、小林あやさんは県内第2の都市である松本市が舞台だった。3人ともそれぞれの戦い方を貫いた。3人を近くで見ていて、3人の選挙を報道で指摘されるような「都市型選挙」というくくりでまとめることは間違いだと思った。それぞれ個性ある運動が現場にあった。

選挙は、公約も含めて候補者の全てを有権者に訴えるもので、その活動は選挙期間だけにとどまらない。現職はもとより新人も選挙前の地道な活動が大事だと思う。同じ選挙区の中でも、その中には様々な地域性がある。できるだけ多くの有権者に訴えが届くよう、丁寧で細やかな活動をしなければいけないなと、多くのことを学んだ1か月だった。3人に改めて感謝したい。ありがとうございました。

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて