「なんでもかんでも批判ばかりして」

 

「足の引っ張り合いばかりしている」

 

「面白ければいいってもんじゃない」

 

日々様々な人たちと会っていると、年代性別に関係なく、多くの人から言われる言葉である。「政治家とマスコミが批判ばかりしているから、世の中がさっぱり良くならない」と、多くの人が感じている。

 

私が批判ということについて、ちょっとした違和感を感じたのは高校生の時だった。「毒舌」という言葉がありそれを持ち味にしている著名人は今も多いが、20年近く前に私は毒舌という言葉を覚えた。その後、毒舌とは時代の流行りなのではないかという思いを強めるようになった。その背景の1つにインターネットの普及がある。インターネットは私が大学に入ったころから、携帯電話とともに飛躍的な広がりをみせ、2ちゃんねるや、様々な掲示板が登場した。特に学校の裏サイトといって、いじめの温床になりかねないようなサイトがニュースに出た時には衝撃をうけた。記者をしていた私にとって、インターネットは情報収集の貴重なツールだったが、プライベートでは積極的に使わなかった。誰でも簡単に世の中に発信ができるので、不満やストレスのはけ口になっているのではないかという思いが消えなかったからだ。この10年、20年近くの間に批判の質が悪くなったのではないか。誰でも瞬時になんでも言えるようになった分、シニカルで面白いことを即座に言うのがカッコいいと思われる時代なのかと思うようになった。毒舌と言う言葉は、「建設的な批判」という意味よりも「面白い批判」という印象をうける。

これまでは時代の流れなのかと許容してきたが、最近私は、毒舌と明確な一線を引こうとしている。私は去年の選挙をきっかけに、この1年半余りでインターネットへの向き合い方が大きく変わった。自分にとって必要なことを得るためにインターネットをより積極的に使うようになったし、自ら発信するようになった。そうすることで多くの人とのつながりを得た。こうして広がった新しい世界には、単にシニカルというだけではなく、前向きで、夢や目標を持つ人が多くいた。いままで目をむけてこなかった世界に目をむけたら、前向きで建設的な人たたくさんいることに気づいた。そして、なによりも、自分自身が前向きになっている。日々の生活が大変でも、やりたいことをやろうと、もがいているからだ。

そして世の中の風潮も少しずつ変わってきているのではないかと感じている。3月の大震災で多くの人が、「できることならなんでもしよう」という気持ちになった。インターネット上に飛び交う言葉に真剣味が出てきた。震災の傷跡はまだ相当深いが、「前向きに、建設的に向きあっていかなくてはならない」ということを教わった気がする。

 

政治家とメディアは、批判をすることが仕事の一部でもある。公共の利益のため、よりよい社会のために必要な批判をしなければいけない立場にいる。いま政治家は、広く支持を得ようとするあまり、「毒舌家」が多くなっていないだろうか。受けや笑いをとればいいってもんじゃない。批判が仕事の一部であるといったが、その後をどうするのか。建設的で前向きな考えを持っていなければいけない。メディアはどうか。多くの人が様々な情報に触れることができるようになった時代にまだ対応しきれていない気がするし、いろんな問題を抱えている。しかし、両者に共通するのは、多くの人に受けようとするあまり、毒舌の時代に流されてきたのではないかという疑問である。

 批判するべき人たちの批判が、なぜいま批判にさらされているのか。時代を先導するべき政治家やメディアが国民の顔色ばかりをうかがって自論を喪失していないか。かつてメディアに身を置き、いま政治に挑む私にとって、批判する責務を負っている政治家とメディアが批判にさらされているということは大きな問題であり、真剣に考えたいと思っている。

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて