2月に入って 近況   2013 年 2 月 10 日

弟のたいせい(右)と

 2月に入りました。

今月から、弟の泰生(たいせい)が秘書になりました。都内のユニクロで店員をしていたのですが、やめてサポートしてくれることになりました。弟とはいえ、不安定な身分の兄を支えることを一生の仕事にするのは、大きな決断だったと思います。私も、弟にそこまでお願いしていいものかと迷いましたが、いまは、良きパートナーができてホッとしています。

弟は秘書経験はもちろん、政治への関わりはこれまで一切ありません。経験がないからこそ、多くのことを学ぶのはもちろんですが、政治の常識にたいして、常に一歩ひいたところから考えて、素朴な疑問を出してもらい、有権者に身近な政治活動をしていくことに力を貸してほしいと思います。常識や慣例を、「当たり前だ」となにも考えずに受け入れるのではなく、常によりよいものを、そして新しいことに、事務所一丸となって取り組みます。

 

 

 

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今月から国政報告を始めました。当面は、ご近所などを対象とした小さな集まりですが、来ていただく人に満足して、喜んでいただけるような内容を模索しています。国政報告というタイトルもすこし固いなと考えています。だんだん多くの人を対象とした集まりをするつもりです。会費制の懇親会がいいのか、ゲストを呼べばいいのか、これまでの政治家の集会とはちがう、新しいものはないのか、いろいろ考えていきます。ご提案ご希望があれば、ご連絡ください。

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様々な団体との勉強会も多いです。先日、農協との早朝勉強会に行ってきました。左側の写真の、右奥に1人ポツンといるのが私です。国会議員が1人だったのではなく、一番乗りでした(苦笑)

交渉参加を主張しているみんなの党の私が、農協関係者とTPPについて議論するのは非常に厳しい場です。みんなの党の他の人は、参加をためらったり、逆に、招かれなかったりしているようですが、呼んでいただけるだけでも私は非常に恵まれています。ありがたいことです。これまでもそうでしたが、「議論無くしてよい結論は生まれない」との思いで、今回も参加させていただいた。議論の中身は、また改めて書き込みたいと思います。

 

さて、新しい国会議員要覧ができました。2750円もするのですが、112ページに私も載っています(笑)

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1月24日に質問に立ったことは以前報告しましたが、もう議事録がとどきました。記念の品になりそうです。

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8日には、予算委員会で江田憲司幹事長が質問に立ちました。みんなの党は衆議院議員が18人になったので、質問時間も20分から100分に増えました。私も予算委員会の傍聴に行ってきました。予算委員会は第一委員会室でやると決まっているようです。テレビ中継でおなじみの場所ですが、思ったより狭いです。私の委員会(文部科学と選挙制度改革)は、委員席に小さな木の名札がちょこんと置いてあるだけですが、第一委員会室には黒い直方体の、本会議場席にあるような立派な木柱に名前が書かれています。私もテレビ中継の端っこに登場したようで、観ていた方が撮影してくれました(笑)

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新しい後援会が、千曲市に立ち上がりました。本当に多くの方に応援していただいているので、応援してくださる方同士の交流を深めていただけるような場もいいなと思い、発会式と懇親会をやりました。私は、応援してくださる方に肩書きや性別、年代や市町村の境はないと考えているので、後援会のあり方もどうあるべきかとよく考えるのですが、できるだけフランクな、集まってくれる全ての方にとって居心地のよい、実りの多い集まりを作っていきたいと思います。

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きょう(9日)も街頭に出ました。街頭に出る回数が増えると、だんだん自分のペースをつかみつつあるなと、落ち着いてきたのかなと思います。ここまでのところ、正直、初めてのことが多く、なんでもかんでも勉強だと思ってスケジュールを立て込ませていますが、「私らしく、私らしく」と常に念じながら活動してまいります。

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弔電にたいする考えとお願い   2013 年 2 月 6 日

もう2年以上前のことになるが、このブログで、葬儀の弔電について書き、議論になったことがある。(https://yousei-ide.com/blog/archives/854)

 

私の選挙区では、葬儀があると、国会議員や県会議員などの弔電が、必ずといっていいほど読み上げられる。地元で長く政治に関わってきた人に聞くと、地元紙のお悔やみ記事をみて、選挙区内の全ての葬儀に弔電を出す政治家が多いようだ。葬儀に対する政治家のスタンスは様々だから、他人のことをとやかくいうつもりは一切ないとお断りしたうえで、私の考えを書かせていただきたい。

 

これまで私は、お世話になった人が亡くなった時や、お世話になった人が故人の親族である葬儀には参列してきた。また参列ができない時は、弔電を送ってきた。当選する前はある程度、自分の都合でスケジュールが組めたので、弔電を送ることはあまりなく、ほとんど参列してきた。しかし、選挙が近くなるにつれて「他の政治家が弔電を送っているのに、どうして、ようせい君は弔電を送らないのか」という声が出るようになった。また、当選してから、こうした声はさらに多くなっている。

 

「政治家なのだから、全ての有権者に弔意を表すべきだ」と言う人もいる。実際そう思って弔電を送っている政治家もいるだろう。しかし、それは、お悔やみ記事をみて事務的に、定型の文章を送るような機械的なものであってはいけないと思う。私はまず、故人と親族の気持ちを大切にしたい。だから葬儀には、できるだけ参列する。参列できなければ弔電を送る。それでも、お世話になった人の葬儀が知らないうちに終わってしまったような時は、新盆回りや、改めてお線香を上げさせていただくようにしている。

 

葬儀で多くの政治家の弔電が読み上げられ、それも選挙が近くなるとその数が増えて、結果として、葬儀が選挙のPRの場になってしまうことは、故人や親族に対して失礼だと思う。「親族や参列者は、弔電を失礼だと思う人はいないし、ありがたく受け取ってくれる」という多くの意見は、的を得ていると思う。しかし、親族の中には、顔をみたこともない人から弔電がくることを疑問に思う人もいる。少数かもしれないが、そうした親族の気持ちを、故人とのお別れの場を、私はかき乱したくない。

 

だから今後もいままで通り、葬儀はまず、参列する。それがかなわない時は弔電を送ることにする。お悔やみ記事の全てに、事務的に弔電を送ることはしない。「変なところにこだわって、おかしいんじゃないの?」と思うかもしれないが、私は、故人や故人の親族の気持ちを大切にしたい。朝起きて、朝刊のお悔やみ記事をみて、亡くなった人や喪主のお名前を1人ずつ確認して、葬儀に参列したり弔電を送るようにしたい。

 

 最後に、私のこうした思いを貫くにあたり、皆様にお願いがあります。私の方で毎日確認をしていますが、先ほど述べましたように、中には、葬儀があったことに気づかず、大変失礼をしてしまうことがあります。これまでもそうしたことがありました。お知り合いやご近所の方が亡くなった時に、私の事務所までご連絡をいただけると大変ありがたいです。(0267−78−5515 又は、03−3508−7469)事務所が不在でも、留守電に吹き込んでいただければ、私の携帯に転送されますので、私がどこにいても伝わります。皆様にご迷惑をおかけしますが、皆様のお力をお借りしながら、故人と親族に真摯に向き合ってまいりたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

桑田真澄さんとの出会い   2013 年 2 月 3 日

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1月29日、東大野球部のグランドで、桑田真澄さんに会った。桑田さんは今年から東大野球部の特別コーチをしている。

 

桑田さんは私にとって特別な存在だ。私の好きな言葉に「試練に挑むことで、道は拓ける」という言葉があるが、桑田さんの著書に出てくる言葉だ。

右ひじにメスを入れたあとに見事な復活をした。

プロ野球の世界に入り、様々な挫折や批判を乗り越えて大エースとなった。

メジャーリーグへの挑戦。

そして、遡れば高校時代から、同級の清原選手のような、大きな体の選手に負けまいと小さな体ながら努力を重ねてきた。

すべてが、野球に打ち込んできた私の憧れであり、目標だった。

 

私は高校3年生の時に桑田さんに一度会っている。その年の確か5月に、桑田さんはダイビングキャッチで右ひじを強打し、後に手術をすることになるが、会ったのは6月だったと思う。肘痛の原因が分からず、都内の病院に精密検査にきていた。そのとき同じ病院に居合わせた私は、桑田さんのサインを、自分の分と仲間の分と数枚書いていただき、猛ダッシュで部活にいったことを覚えている。今も大切な宝物だ。桑田さんにそのことを話したら、覚えているはずもなかったが、嬉しそうにきいてくれた。

 

練習をみていても、桑田さんは選手にやさしく話しかける。選手の話を聞こうとする。選手の話をしっかり聞いた上で、自分の考えを静かに話す。選手は見事に惹き込まれていた。

東大にはまじめな選手が多い。反復練習は厭わない。だからトレーニングなどは成果が出る。身長は他の大学のエリートに及ばないが、線の太さは他の大学にも負けていない。ただ、いかんともし難いことが1つある。それは他の大学のレベルの高い野球を、日々の練習で体験できないことだ。そんな話を桑田さんとしていたら、桑田さんは「紅白戦でボクも投げようかな。ボクの球を打ったら自信がつくだろう」と話してくださった。1年間グランドに来てくださるという。今後が楽しみだ。ああ、10年遅く生まれてくればよかった(笑)

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