被災地のこと   2013 年 4 月 30 日

もう1ヶ月近く前のことになるが、被災地に行ってきた。被災地にいくのは約2年ぶり。震災のあった年の5月にいった以来だ。前回は絶望に近い感覚に陥ったが、今回はどうなのだろうか。復興が進んでいるのではないかという期待と、報道をみるかぎり、期待できないという思いが混じりながら気仙沼に向かった。

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気仙沼には、仮設商店街ができていた。被災して店を失い、商店街の復興が進まない中で、プレハブ棟にいくつもの店が集って商売を再開したという。

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学校に隣接している仮設住宅にもいった。月曜日の午前中なので、高齢者や主婦が数人いるだけだった。お年寄りの女性が「私たちは、みなさんにどれだけ感謝してもし足りない」と話していた。2年前に泊まらせてもらった避難所でも、同じ言葉を何度もきいた。2年前も今回も、非常にありがたい言葉をかけていただいたと思ったが、復興が依然として道半ばであることも感じずにはいられなかった。

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気仙沼港の回りは工事がさかんにおこなわれていた。しかし、建物はなくなったままで、更地が目の前に広がっている。市の職員によると、震災で自然体が平均で74センチ地盤沈下したという。被害を繰り返さないように、盛り土をした上で再建をすすめるようだが、かなり時間がかかるだろう。

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2年前、がれきで埋め尽くされた街の中にあった、流された漁船はそのまま残っていた。がれきは片付いたが、なにもない更地のなかに船だけが残っていた。津波被害の象徴として保存するか、それとも撤去するのかで議論が続いているという記事が、ちょうどその日の地元紙に出ていた。

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津波に襲われた市内の高校は、大破したまま残されていた。増築したばかりの高校が津波で大破し、生徒はいま、別の場所に通っているという。グラウンドには大きな焼却施設、クリーンセンターが建っていた。

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気仙沼から隣の南三陸町にいったら、嬉しい再会がまっていた。南三陸町の佐藤町長(写真右)だ。奮闘ぶりはTVでみていた。「なんで2年前はこなかったの.寂しいっちゃ」と笑顔で言われ、笑顔を返したが、2年前は、街がなくなってしまった映像を何度もみせられていて、馴染みの深い街だっただけに、恐くて入れなかった。

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町役場は新しい場所に。

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南三陸にも仮設商店街が、沿岸から離れたとことろにできている。そばには、鉄道代わりを果たしているバス停もできていた。

 

 

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震災前の街の中心部は沿岸にあった。何度も映像や写真でみてきた役場の防災庁舎。かつて何度も訪れた建物だが、骨組みだけになった姿はあまりに小さかった。あたり一面の更地が被害の大きさを物語っている。かつての街は、ない。

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防災庁舎で手を合わせていると、ほかにも何人か、花をもって祈りに来た人がいた。おそらく毎日、多くの人が訪れているのだろう。

復興の道のりはまだまだ長い。2年ぶりにいって、改めて感じる。被災地に、これからも思いをはせていかないといけない。復興はいまもこれからも、日本の最優先課題だ。

 

凍害調査   2013 年 4 月 30 日

4月25日の信濃毎日新聞朝刊に、4月21日の雪や霜と、翌日にかけての冷え込みで、果樹に大きな被害が出たという記事があったので、現場を見にいってきた。訪れたのは松本市の今井。地元の農家によると、松本では21日に雪が降り、その翌朝がマイナス7度ぐらいまで冷え込んだという。DSC01094

梨の花がちょうど開いたところに寒さが直撃した。見た目で明らかに枯れてしまった花も多いが、写真のように花が生きていても、真ん中のめしべが黒く変色してしまうと、受粉ができず、実がならない。梨はほぼ全滅で、こうした被害は、この地域では30年ぶりだという。

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 話をきいた2人の農家は、米やぶどうも作っているというので、梨が全滅でも、生活が立ちゆかなくなることはないと前向きに話していた。しかし、梨だけを作っている農家や、ことし新規就農した人には大きな被害になってしまったという。

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天災にあったときに被害額を軽減する果樹共済という制度があるが、よくても被害額の7割しか補償されない。また、被害の算定は農家にとっても、算定する側にとっても難しい問題が多い。地元農家によると、梨は天候の影響を受けやすいので、栽培農家の半数が共済に入っているが、果樹全体で見ると2割程度しか加入していないという。

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農業は、天候に大きく左右される。単品だけ作っているとリスクは非常に高い。また単品のみだと作業が一時期に集中するので、複数の農作物を作って、作業の分散化とリスクの軽減を図っている農家が多い。そんな話から農業の将来に話がうつった。いま、自民党は「攻めの農業」を合い言葉に、大規模化、輸出の拡大を目指そうとしている。みんなの党も他の野党も「大規模化」という路線は共通している。しかし、大規模化、生産量だけで勝負しても、海外の大規模農家には太刀打ちできない。ましてや、天災被害を軽減するために複数の農作物を作るとなると、ますます容易ではない。

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 質の高いものを、売り先を確保して、つまり販売を重視して、堅実な経営をしていくことがこれからの道ではないかという話になった。販路の拡大、開拓は、個人では、すでにかなりやっている人もいる。しかしこ、れまで生産だけして農協に販売を任せきってきた農家にいきなりやってくださいといっても、すぐには難しい。しかし、農協がまず、販路の開拓、多様化に力をいれるというのであれば1つ道がひらけるのではないか。

お会いした2人は、私がきたことを非常に喜こんでくれたが、私のほうこそ大変勉強になって感謝している。現場の思い、感覚、実態を、国会の議論にのせていきたい。

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて