今朝の読売新聞に、今月、内閣法制局長官に就任した小松一郎氏のインタビューが出ていた。1面に概要、4面に詳報があるが、1面の見出しは「集団的自衛権解釈見直し作業『法制局も積極参加』小松長官意欲」とある。

 

 

さらに読売新聞はインタビューのポイントとして、1面で3つあげている。

 

 

①集団的自衛権の憲法解釈見直しの検討作業に積極的に参加していく。

 

②安全保障の法的基盤が今までの通りでいいのかという首相の問題意識に応える仕事をしたい。

 

③自衛隊の国際活動における武器使用も真剣に熟議する必要がある。

 

 

しかし、4面の詳細を読むと、

 

 

①の「積極参加」については、「現時点での内閣の憲法解釈は今まで通りということだが、まさに安全保障の法的基盤のあり方を検討する中で、内閣として十分熟議して、最終的に内閣として決める。内閣法制局は『法律問題に関し、内閣、内閣総理大臣、各省大臣に対し、意見を述べること』が重要な仕事だ。懇談会の議論を踏まえた検討の中で、内閣法制局としても積極的に参加していく」とある。

 

 

内閣や総理大臣などへの意見具申という、法制局の仕事を、積極的に果たして行くということだと私は受け止めた。

 

 

②については詳報をみると、「日本の平和をしっかり守らないといけない。また、積極的な平和主義、より積極的な貢献を行うべきということの2つが安倍内閣の大きな問題意識だ。自衛隊の役割を中心とした安全保障の法的基盤のあり方が今まで通りでいいのか、内閣として検討する必要があるというのが、安倍首相の強い問題意識だ。これについて内閣全体として熟議し、決定すべきは決定すべきだという問題意識だ。私の外務省での経験をいかして、その問題意識に応えるような仕事をしたい」となっている。

 

 

③については、ポイントにそった表現が詳報に見当たらない。詳報には「安全保障の法的基盤の問題は、なにも集団的自衛権の問題だけではない。アフリカのマリでイスラム過激集団が住民を弾圧したことを受け、フランスは軍隊を派遣してテロリストの掃討作戦をやった。国際法上は合法な活動だ。しかし、憲法との関係でどう評価するかという議論は結論にはいたっていない。安全保障の法的基盤について真剣に議論をするという場合には、こういう問題も含めて真剣に熟議する。自衛隊による邦人の救出や輸送時に現地で武器使用するケースも理論的には関連してくる問題だ」とある。

 

 

「理論的には関連してくる問題だ」を「真剣に熟議する必要がある」としているのは、間違いではないがニュアンスが異なるのではないか。

 

 

読売新聞は「法の番人」とも言われる内閣法制局のトップが、集団的自衛権の解釈変更に積極的なイメージを出したいようだが、4面に白地で見出しとなっている「解釈変更に慎重 当然」というのが、まさに法制局長官の立場ではないか。

 

 

内閣法制局は、法律について首相などに意見を述べる「意見事務」と、法案や条約案を審査する「審査事務」が大きな仕事だが、とくに審査事務については、過去の法律との整合性など、ノウハウと蓄積を持っているのは法制局以外ないともいわれている。意見事務については、法制局は内閣の一組織であり、内閣の方針にそうように意見具申もするが、そこにも慎重さが求められる。

 

 

小松長官はインタビューで、「法治国家として法的安定性や法的整合性は非常に重要なことだ。それも1つの重要な要素として勘案して、関係する諸要素を総合的に勘案して、どういう結論を出すべきかという問題だ」と述べているが、安倍総理の集団的自衛権容認に積極的な姿勢を理解するだけでなく、内閣法制局長官という役割も十分に理解していることが、インタビューの詳報から伝わってくる。

 

 

以前、内閣法制局長官を2004年から06年まで務めた阪田雅裕氏の話を聞く機会があった。阪田氏は「法制局長官が変われば法律解釈が変わるのかというと、これまでの法解釈は法制局ではなく歴代内閣の決定であり、法律の歴史的な積み重ねや、各省庁の関わりも大きい。内閣法制局のトップが変わる影響が大きいかといえばそうとは言えない」と話していたし、私もそう思う。

 

 

今後の国会の議論になる話なので、長文になったが私自身の備忘録として書き留めることにした。

終戦の日にあたって   2013 年 8 月 17 日

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8月15日、日本武道館でひらかれた、戦没者追悼式典に参加してきた。国会議員になる前はこうした機会はなかったので、初めての参加となった。

 

 

安倍総理の式辞に、「アジア諸国への反省がなかった」とか、「不戦の誓い」がなかったとして、大きなニュースになったが、式典会場で安倍総理の式辞をきいているときは、そのことに気がつかなかった。

 

 

気になったことはといえば、安倍総理の慰霊が、戦地で戦って亡くなられた人たちに特化され、非戦闘員、または民間人への言及が薄かったように感じたことである。

 

 

当時の日本にとって、戦争は「総力戦」だった。その中で、沖縄での戦闘や、東京大空襲、広島、長崎の原爆があったわけだから、亡くなられた人を、もっと広範囲に言及していただきたかった。もちろん亡くなった全ての方への思いは、安倍総理もお持ちであることは言うまでもないし、強い思いをお持ちだと思っている。

 

 

アジアへの反省、不戦の誓い、また私が感じた、亡くなった全ての方への慰霊が薄いということも、安倍総理の式辞を見返せば、読み取れる部分はあったし、天皇陛下のお言葉や衆参両院議長、最高裁判所長官の追悼の言葉など、式典全体を通せば十分な内容だったと思う。

 

 

話が横にそれるが、総理をはじめ、各都道府県のご遺族代表が、参加者を代表して献花をしたが、経団連や連合、新聞協会など、いくつかの団体の代表も、献花をメンバーに入っていた。総理と三権の長と、ご遺族だけでもいいような気がしたが、そこは長い歴史があるのだろう。機会のある時に調べてみたい。

 

 

さて、飯田橋駅から歩いて日本武道館に向かう途中、靖国神社の前を通った。私は、将来的には、靖国神社を自由に参拝できるようなればいいと思っているし、自分も参拝したいと思う。しかしながら、外交上の摩擦や、靖国神社の歴史のはじめの方をみれば、国際的に理解が得られないこともわかる。

 

 

しかし、戦没者を慰霊することは当然だと思うし、他の国だって同じだ。また、国内の靖国神社の捉え方も変わってきているし、参拝したい人の思いも様々だ。時間はかかるかもしれないが、自由に、そして静かに靖国神社に参拝ができるようになるよう、考えていきたい。

 

 

最後に、8月15日は、県内では松本市の護国神社でも追悼式典があり、いずれも招待状をいただいたが、どちらも初めてのことなので、今年は武道館に行くことにした。来年以降も、どちらかに必ず参加していきたい。
井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて