ボブ・ディランの言葉   2014 年 3 月 3 日

ある本を読んでいたら、ボブ・ディランの以下の言葉が引用されていた。

「つまり我々の誰からも声が上がらなかったら、何も起こらず、人々の期待を裏切る結果になってしまう。特に問題なのは、権力を持った者の沈黙による『裏切り』。彼らは、何が実際起きているかを見ることさえ拒否している」

「俺にとっては右派も左派もない。あるのは真実か真実でないかということだけ」

「俺は常に個人的見解を持った一個人として生きてきた。もし、自分が存在している意味があるとすれば、みんなに不可能が可能になるって教えてやることだ」

「ボブ・ディラン全年代インタビュー集」という本にのっているらしいが、思わず頷いてしまう言葉だ。

この言葉を紹介していた本は、「絶望の裁判所」(瀬木比呂志)で、筆者は、今の裁判所が最高裁判所事務総局を中心とした人事、組織益に偏っり、裁判が、本来の役割からかけ離れたものになっていると厳しく指摘している。裁判所という公正中立、独立した機関がそうなのかと驚く人もいるかもしれないが、読んでみると相当の説得力がある。

裁判の世界だけではない、政治家、官僚、また民間でも「組織益」、「事なかれ主義」に陥って、本来の目的を見失って漂流している組織とそこに属する個人が多いのではないか。自立した、独立した個人が活躍できる組織、もっと広くいえば、そうした個人が活躍できる社会を作ることが、日本の活性化につながると信じている。ボブ・ディランの言葉が身にしみる。

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて