新聞週間に考えること   2012 年 10 月 17 日

15日から「新聞週間」がはじまった。(http://www.pressnet.or.jp/about/shimbun_shukan/)どの新聞も今週のどこかで、新聞の役割、報道のありかたを検証する記事を書き、おそらく今年も大きなテーマは震災報道だろう。

 

新聞の果たしている役割はいまなお大きいと、私は思う。復興予算の流用問題の解明にも、一定の役割を果たしている。また、たとえば毎日新聞が、核燃サイクル政策推進のために専門家が、「秘密会議」をひらいていたことを報道し続けるなど、報道されなければ私たちが知ることのなかった事実も多く出ている。しかし、一方で、iPS細胞から作った心筋細胞を患者に移植したという森口氏の嘘にのっかってしまうなど、問題も事欠かない。政治報道について言わせてもらえば、消費税やTPPなど、国論を二分するような問題に全国紙が似たり寄ったりの社説を出し続けたり、民主自民公明の3党協議をなぜ、全国紙が揃いも揃って支持するのか、「社論はあるのか」と問いたくなるようなことが多い。消費増税に多くの新聞社が賛意を示しておきながら、新聞には軽減税率を適用してほしいと求める紙面に違和感を覚える人も少なくないだろう。

 

大手メディアがなによりも優位なのは、長年の歴史と、そして、役所や企業など、いたるところに記者クラブを組織して、優先的に情報にふれられることだ。それがいま、インターネットの普及によって、役所や企業も独自に情報を発信している。また、記者会見にフリーの記者が入れるようになりつつあるなど、情報が多様化している。そしてフリージャーナリストの活動も、ネットによって飛躍的な広がりを見せている。Twitterやブログ、facebookのおかげで、私たちは様々な論客の文章を、より簡単に目を通すことができ、新聞社の社説より数段、説得力のあるものも多い。また、ユーストリームなど、ネット中継、動画の進歩によって、生の情報、速報性でもネットが力を伸ばしつつある。多くの人が幅広い情報に触れられるようになってきたからこそ、大手メディアの報道は厳しく問われ、既得権だと批判されている。裏を返せばまだそれだけの影響力があるということだと思う。新聞をみもしないで「マスゴミ」などと批判する人よりも、様々な新聞に目を通したうえで批判する人の意見の方が大事だと私は思う。

 

 いま、大手メディアに求められているのは謙虚さと独自性だ。いまに限った話ではない。私がメディアと関わるようになってからずっとそう思ってきた。謙虚さとは、自分たちが情報を得やすい立場にいるという自覚をもつこと。報道が誤っていると判断した時に謝罪すること。自分たちが「国民になにかを教えてやっているんだ」とかいう特権意識を解体する必要がある。私が記者をしていたときも、NHKを含めて大手メディアには特権意識をもった人が多く辟易した。誇りは必要かもしれないが驕りは自らの妨げとなるだけだ。

 

そして、独自性は、新聞社が10あれば10通りの社論を掲げることだ。公共性の御旗を立てるのは大事だが、その旗にかくれて自分たちの主張を決めなかったり、回りを様子見して似たような記事を並べているいままでのやり方では、国民はついてこないだろう。「大手メディアの書くことが正解とされた時代」から、「様々なメディア、情報の中から正解を選択する時代」に入っている。

 

私は、毎日様々な新聞に眼を通している。主要紙の社説もほぼ毎日読んでいる。 軽減税率が適用されようとされまいと新聞は読み続ける。だからこそ、目に見える変化を期待したい。

この記事は 2012 年 10 月 17 日 水曜日 3:36 PM に投稿されました。

コメント / トラックバックはありません

コメントをどうぞ

井出ようせいブログシリーズ 被災地をみて