行動なくして
実現なし
008.自由な報道

事件報道のらせん

こんばんは。先日「検察、しっかり!」を書きましたが、

その後、特捜検事の証拠改ざん容疑事件は、上司(特等部長と副部長)の関与、

つまり大阪地検特捜部という組織がどのように関わっていたのかが焦点になっています。

報道各社がどのようなスタンスで報道を続けていくのかに私は注目しています。

 

ところで、ちょっと前まで、報道各社は厚労省に復職した

村木さんの検証報道記事を出していました。

無罪判決をうけた村木さんに対する報道が、逮捕当初から適切だったのかどうかを

各社が自社の報道を振り返るものです。

足利事件の再審で無罪判決が出た時も

報道機関は、足利事件の発生当初の取材を検証・反省する記事を組んでいます。

これは、事件当時、ほぼ有罪を印象付ける報道をされた人が無罪になったのですから

当然必要なものです。

しかし、この検証・反省記事は、紙面の大きさや放送時間の長さの割に

その後の報道に生かされません。

この手の検証記事は、「捜査当局(警察・検察)の取材に頼りすぎた」という反省が

かなりの確率でなされるのですが、

そもそも、捜査情報は捜査当局からしか取りようがないので

結果として同じ過ちが繰り返される。

昔の私も含めて、捜査当局を取材する人間はとにかく捜査情報にこだわり、

裁判で明らかになることを事前に報道します。

この報道の仕方は時に厳しく批判されますが、決してなくなることはありません。

よく、捜査情報にたよった報道は捜査当局のリークだと批判されますが

捜査当局だっていずれ裁判で明らかになることなので嘘はつきません。

そして、大きな事件があったときにその背景が

裁判までまったく報道されないということも異様な社会だと思います。

現状だと、捜査当局の捜査が誤れば報道も誤りとなる。

それはどんなに容疑者の弁護士や、被害者の関係者の取材を積み重ねても

容疑者を拘束して取り調べている捜査機関の情報が

報道にとって大きなウエイトを占めるからです。

捜査当局に依存した事件報道のらせんはこうして続くのです。

 現に、大阪地検特捜部の証拠改ざん容疑事件も

検察の捜査情報に基づく報道が連日続いています。

 

しかし、この事件はこれまでにない展開を見せています。

それは、容疑者(特捜部長・副部長)の接見を裁判所が認めたため

報道各社が拘置所で容疑者に直接取材をして、その内容が報道されている点です。

通常、逮捕された容疑者が起訴されるまでの20日あまりの間に

弁護士以外の人との接見が認められることはほとんどありません。

私は今回がかなりまれなケースだと思っています。

 

しかし、捜査当局の人間が容疑者となった事件で、裁判所が容疑者の扱い慎重にする。

これまでの捜査当局と容疑者、裁判所、そして事件報道のあり方に

一石を投じたというのは何ともいえない皮肉な結果となっています。

取り調べの可視化の議論が再燃していますが、

拘束された容疑者の接見も

今後の刑事事件捜査とその報道を考える大きなテーマの一つだと思います。